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湖岸で娘と三人で Feed

2007年6月21日 (木)

湖岸で娘と三人で 13 ・・最後は電池がきれました・・

「もう、この子いうたら、ホンマにかなんわ」

 私の所へ帰ってくるなり、妻の口から出た言葉である。
 その様子からして、どうやら娘が何かをしでかしたようであることは分かった。
 彼女の行動は突拍子もなく、時として親の私たちを唖然とさせるやら、恥ずかしくさせるやらである。

「なんや、どないしたん?また、おっきいオナラでもしたんか?」

 娘はよくオナラをしては、「オナラでた〜」と言って喜んでいる。
 その音も大したもんで、大きい時などは私がしたと間違われるほどである。
 
「いや、そんなんと違うねん」

「ほな、なんや?」

 オナラでなければ、一体何をやらかしたのか。私は興味津々で妻の次の言葉を待った。

「バンドの傍に行くって言うてたやろ。そこまで行ったのはいいねんけど音がウルサイやんか、そやからお兄ちゃんたちの前で、両手を耳にあてて塞いで、ついでに大きな声で「ウルサイ!」っていうねんもん。もうホンマ、恥ずかしかったわ
 それを聞いた私は、腹がよじれるほど大笑いしてしまった。
 幼い子は、時として怖いもの知らずである。自分の一言や行動が、次に何を引き起こすかなど考えずに行動できるからである。
 この娘の行いは、まさにそれであった。
 しかしまさか娘が、芝生広場にいる大勢の人の気持ちを代弁して帰ってくるとは思いもしなかった。
 妻の話をその横で聞いていた娘は、「ヘッヘーン」と言わんばかりの顔で私のことを見ている。
 そんな話を聞いている間にも、兄(あん)ちゃんたちの演奏は続いていたのだが、突然先ほどとは打って変わって、スローな歌が流れ始めた。
 そしてその歌が終わった後、彼らは機材を撤収しその場を立ちさった。演奏が始まってから二十分も経たないうちに、彼らの姿は消えたのであった。

「あれ?あいつら、思ったよりも早く演奏を止めよったな。こりゃ、ゆうちゃんの一言がかなり効いたんと違うか!小さい子にはっきりと言われると、結構ショックやもんな」

 想像していたよりも早く終わった彼らのレビューに、私は冗談交じりで妻に言った。

「なんか、悪いことしたかな・・」

 私の言葉を聞いて、本気ですまなそうな顔をする妻。

「冗談やって、多分最初からそういう予定やったんやろ。気にすんな!」

 娘の言葉が引き金になったのか、もともとの予定がそうであったのか、事の真偽を知る術も無かったが、そこまで気にすることでもなかろうと思った私であった。
 
「もうイッカイ、シャボンだましたいな〜。おかあさん、いこう!」

 片方の靴を脱いでシートの上で休もうとしていた妻に、娘からご指名が再度かかった。

「え!もう一回行くの?ちょっと休ましてくれへん」

 ブレイクタイムを取りたいと言う妻であったが、娘はまだまだ絶好調である。

「いや〜や、はやくいくの!」

 その言葉を聞いた妻は、諦め顔で脱いだ片方の靴を渋々履きなおした。

「はぁ〜、もう一回行ってくるわ。シャボン球貸して」

 ため息交じりで話す妻に、私はシャボン球のバイプとボトルを手渡した。
 そして二人は砂浜へと並んで歩いて行く。
 砂浜で遊ぶ二人の姿は小さくしか見えなったが、娘の楽しそうな声はとてもよく響いてくる。
 いつも外出する時は、お兄ちゃんも一緒のため、娘にとって私たちを独占できる時間は滅多にない。
 当の本人にそんな気はないであろうが、まるで両親を独占することができた貴重な時間を無駄にすまいとしているかのように、がむしゃらなまでにはしゃいでいる娘。
 キャッキャ、キャッキャと楽しそうな声を上げながらシャボン球を追い掛ける姿を見ていると、またまた心がほぐれてくる。
 息子には申し訳ないが、この時はただ娘のことだけを見つめて私であった。
 そうやってのんびりと過ごした時間。左の腕を顔の前持ってきて時計を覗いてみると、針は午後三時を回っていた。
 そしてふと空を見上げると、先ほどまで顔を出していたお天道様も雲で顔を隠していた。
 交通事情も夕方になると、あまりよろしくない。
 大津から京都市内へと抜ける道は、夕方になると渋滞していることがよくあるからだ。
 そして五時には、息子も我が家の玄関のチャイムを鳴らすだろう。

『そろそろ、引き揚げ時やな・・』
 
 そう思った私は、砂浜で遊ぶ二人に声を掛けた。

「お〜い、そろそろ帰るぞ!」

 その言葉を聞いた妻と娘の反応は、全く対象的であった。妻は私の方へ帰ってこようとするのだが、娘の方が何やら様子がおかしい。
 そのうち砂浜の上にへたり込んで、大声を上げて騒ぎ出した。

「おうちにかえるの、いやや!」

 どうやら、いつもの悪い癖が始まったようである。癖と言うと語弊があるかもしれないが、最近は外出して「さあ、帰ろう」と声を掛けると、いつもこの調子である。
 これが始まると、娘を説得するのに数分を要するのだが、この数分がこれまた疲れるのである。
 妻だけではこの事態を解決することが難しいと思った私は、援軍気取りで二人の下へと走って行く。
 そして、あーだこーだと説得したり宥めたり。
 さてさて今回の解決策は、砂浜から駐車場まで私が彼女を肩車して運んでいくことで手打ちとなった。
 娘を私の肩に乗せると、靴についた砂が私の顔に降りかかる。

「うわァ、ププ。目の中に砂が入ったぞ」

 そう言って不意に目を瞑ってしまった私は、バランスを崩してしまい娘を落としてしまいそうになったが、危ういところで何とか体勢を立て直した。

「もう、アブナいな!おとうさん、ちゃんとあるいてや!」

「ヘイヘイ、すみませんね。文句言うのやったら、自分で歩いたらエエねん・・」

 頭の上から聞こえてくる天の声ならぬ娘の声に、私はブツブツと呟きならが荷物のある場所まで戻った。
 片付けは妻に任せた。何せ私の肩には18キロが乗っかっているので、とてもそれどころではない。
 妻はテキパキとレジャーシートを折りたたみ、トートバッグの中にしまい込む
 そして私のバックパックとトートバッグをその両手に持ち、帰る準備は整った。

「さあ、ほんなら帰ろうか!」
 
 唯一楽チンを決め込んでいる娘に声を掛けて、私たちは駐車場へと歩き出した。
 私が歩くたびに娘の体も上下するためか、私の頭に巻きついた彼女の両腕に力が入る。
 その上下運動により、自分の体がアンバランスになることが面白いようで、娘は私の頭の上で大ハシャギである。
 騒がしい一行は、こうしてまだ沢山テントの並ぶ芝生の真ん中を横切って行く。
 芝生の丘を渡りきると、そこには関門が一つ待ち構えていた。
 芝生広場から駐車場へ行くには、数段の階段を下りなければならない。
 わずか数段だが、娘を肩車したまま下りるとなると、これがなかなか難しい。
 娘に降りろと言ってもどうせ聞くわけもないと思った私は、娘を肩に乗せたまま階段を下りることにした。
 ソロリソロリと慎重に一歩ずつ足を下ろす。そしてなんとかこの難関を無事クリアした父に、娘は「おとうさん、すご〜い」と言って拍手をしてくれた。
 ここを越えれば、あとは車のある場所まで平らなアスファルトを歩いていくだけである。
 芝生の丘のように起伏もなく、階段のように気を使うこともないので、自然と私の歩くスピードも速くなった。
 そんなこんなで、ようやく到着した車の前。

「さあ、もうここで降りてや。」

 そう言って私は娘の体を掴み、一旦グイっと持ち上げてから下に降ろした。
 娘も満足したのか、降ろした後も上機嫌である。
 車の鍵を開けドアレバーに手を掛けると、車体は熱く焼けている。

『こりゃ、中は蒸し焼きやな・・』

 そう思いながら、私は覚悟を決めてドアを開けた。
 すると車の中からは、モアッとした熱い空気が流れ出てくる。
 車内の温度はとても上昇しやすい。真夏ともなれば、屋外に小一時間も置いておけば、車の中は蒸し風呂地獄である。
 梅雨間近の五月末。我が愛車は「あと少しすると、またあの暑い夏がやってくるぞ」と、私に告げているかのようであった。
 
「うわァ、中はやっぱり暑いわ。ちょっと外で待っとき」

 そう二人に言った私は、座席には座らず上半身だけを車内に突っ込み、車のエンジンをスタートさせた後、すぐにエアコンのつまみを右に回した。
 車の中が熱いことは娘もよく知っているので、車中の温度が下がる二、三分の間、彼女もお茶を飲みながらおとなしく待っている。
 しばらくすると勢いよく吹き出る冷気のおかけで、車中の温度も適温になった。
 私は右後部のドアを開け、娘に乗り込むように促した。
 最近は彼女も上手に車に乗ることができるようになった。
 重たい体を起用に右に左にくねらせながら、最後にドスンとジュニアシートの上に座り込む。
 妻は先に反対側から車に乗り込み、娘の隣に座っている。
 最後に座席に座った私は、運転席のドアをバタンと勢いよく締めた。

「みんな、シートベルトしたか?」

「OKで〜す」 

 私の後ろから、元気な返事が返ってきた。

「よっしゃ、ほなら帰ろう!」

 そう言うと、私はサイドブレーキを下ろし、セレクタレバーを「D」に合わせ、アクセルを軽く踏み込んだ。
 車はゆっくりと進み出し、駐車場の料金ゲートへと進む
 窓を開け腕を伸ばし、コイン投入口に数百円を入れると黄色と黒の縞模様のバーが上がり道を開けてくれる。
 ブレーキペダルを踏んでいた右足を再びアクセルペダルの上に置き車を発進させた私は、娘に声を掛けた。

「また、遊びにこような!」

 しかし彼女からの返事はない。代わりに妻の声が私の耳に届く。

「あら、もう寝てるわ。電池が切れたみたい・・」

「え!今さっきまで喋ってたのに?」

 今の今まで大騒ぎだった娘は、車に乗り数秒で眠ってしまったのだ。それはまさに一種の神業のようであり、私には到底真似のできる芸当ではない。
 娘が寝入った車内は、本当に静かである。
 その静けさに誘われてか、駐車場を後にして車をしばらく走らせている間に、妻の声もいつしか聞こえなくなった。
 ルームミラーで後ろを覗いて見ると、妻も娘に寄り添い寝ている姿が映っている。
 こうして静かになった車の中で起きているのは、車を運転する私一人となった。
 FMラジオから流れてくる音楽だけが静かに私の耳に届き、帰り道の運転の供をしてくれたので帰り道であった。

                    ・・終わり・・
 
 


 
 



 
 
 



 

2007年6月18日 (月)

湖岸で娘と三人で 12 ・・娘四歳、初めて重低音を耳にする・・

 この大津湖岸なぎさ公園は、誰もが気軽に訪れることのできる公園である。
 バーベキューをするグループや私たちのようにお弁当を広げる家族。水遊びをする幼子に釣りを楽しむお兄ちゃんたちと、その楽しみ方は周りの自然に合わせつつも多種多様である。
 そんな中、一風変わった団体さんが少し遠くの方で、ガチャガチャと何やら荷物を運んでいる姿が私の目に映った。
 その荷物とは、ドラムにキーボード、それにギターやスピーカーといった楽器や音楽用機材である。
 私たちがレジャーシートを敷いた場所から、10メートルほど北へ上がった遊歩道の上にそれらは設置されだされ、五分ほどでセッティングは終わった。
 そして楽器を運んでいた人たちの風貌からして、彼らはロックバンドを組んでいる兄(あん)ちゃんたちであるということは一目瞭然であった。
 機材の配置を終えた彼は、次にそれぞれが持つ楽器のチューニングを行った。
 エレキギターの「キュ・キュ・ギュ・ギュオ〜ン」といった音や「ズン・タ・ズン・タタ」とドラムを試し叩きする響きが、公園でくつろぐ人たちの耳に届いてくる。
 
『どうやら、ハードロックっぽいな・・』

 彼らがこれから演奏するであろう曲が、どんなものであるか分かった私は、正直少し不快な気持ちになった。
 ゆっくりと時間が流れるこの場所で、ハードロックはあまりにも場違いに思えたからである。
 楽器の音を確かめるため、それぞれが出していた音が一瞬ピタリと止んだ。
 そしてその沈黙が数秒間の続いた後、ドラムの激しい音と共に、おそらくはその場に居た多くの人が望まない、野外ライブの始まりとなった。
 突然の重低音が、公園内に鳴り響く。
 そしてこの音を聞いた娘は、すぐさま彼らの方に振り向いた。

「あれなんや〜。あそこにいこ〜」

 保育園でのお遊戯などで、私もその昔何度となく聞いた歌を聞いたり歌ったりしている彼女にとって、まるで雷のように鳴り響く生の楽器の音は、おそらく娘の人生の中で始めて聞く音であり、彼女がそれに興味を持ったことは不思議ではない。
 
「あっこに行くの?ほなら、いっぺんこれを置きに帰ろか」

 私は、シャボン玉のパイプとボトルを持った両の手を少し前に出しながらそう言った。
 私の言葉に、無言でただ首を縦に振る娘。
 こうして私たちは、シャボン玉遊びを一旦終えて、妻が座って待つレジャーシートまで戻ることとなった。
 シートまで戻ると、突然メンバーチェンジを宣言する娘。

「おかあさんと、あっこにいきたいな〜」

「えー、お母さんが行くの?お父さんと行ってきたら・・」
 
 もともと激しい音楽が好みでないことに合わせて、妻はもう少し座ってゆっくりとした時間を楽しみたかったのであろう。
 しかし、娘はそれを許さない。

「いや〜や、おかあさんといくの!」 

「しゃーないな。ほれ、選手交代や」 

 この私の一言が駄目押しとなり、妻はくつろぎの時間に未練を残しつつ、ゆっくりと立ち上がりシートの際に置いてあった自分の靴を履くのであった。
 娘はと言えば、妻が靴を履き終えるやいやな、その短い足をフル回転させて、音の聞こえる方向へと走り出す。

「もう!ちょっと待ってよ!!」

 そう言いながら、娘の後を走って追い掛けていく妻。

「それじゃ、よろしく!」

 妻の後ろ姿に向かって、私は右手でバイバイをしながら彼女に娘を託した。
 靴を脱ぎ、妻と入れ替わりでシートの上に腰を下ろした私は、足を前に放り出しボンヤリと琵琶湖を見つめた。
 目に映る景色はホノボノとしているのだが、それにしても耳障りなのは、腹の底まで響くギターやドラム、それにお世辞にも上手とは言えないボーカルの声であった。
 歌の上手か下手かは抜きにして、私はハードロックが決して嫌いというわけではない。
 ただ問題は、その場の雰囲気にそぐわない音であるいうところにあった。
 これが夜のライブハウスなら、全く問題はなかったであろうが、皆がゆっくりとした時間を楽しんでいる空間には、あまりにも場違いな音であった。

「なんや、あれ!」

「ちょっと、誰か止めろって言うてこいや!」

 周りからはその喧しい曲に、あちらこちらから文句の声が聞こえてくる。
 ただ先ほども述べたとおり、音の発信源までは10メートルほどの距離があり、苦情の声はバンドのメンバーにまでは届かない。
 
「五、六曲歌うとして、だいたい三十分くらいか。それまでの辛抱やな・・・」

 アマチュアバンドがライブハウスで歌うことのできる曲数は、多くても五曲から六曲くらいであると、バンドを組んでいる友達から聞いたことがあった。
 一曲五分と計算して、そこから彼が歌う時間は三十分ほどであろうと、私は考えたのである。
 騒がしいノイズを遮断しマッタリとした時間を楽しむため、私は目の前に広がる水の景色に集中することにした。
 ただただ湖面を何十秒か眺めていると、なんだか頭の中が少しボンヤリとしだし、そしてさっきまで耳をつんざいていた音も、何処か遠くから微かに聞こえてくる感じがする。
 ベタな言い回しかもしれないが、私自信が私を包む周りの自然と一体になったかのような不思議な感覚であった。
 私は、いったいどれくらい異次元の世界に居たのか分からないが、それはフワフワとして心地良い世界であった。
 しかし、そんな時間も長くは続かない。
 父を呼ぶ聞き慣れた声を耳にした時、私はハッと我に帰り現実の世界へ戻ることとなる。

「お〜い、おとうさ〜ん!かえってき〜た〜ぞ〜!」

 声のする方へ振り向くと、右手大きくを振りながら、笑顔でこちらへと走ってくる娘の姿を目にした私であった。

                  ・・・つづく・・・



 
 

 
 

2007年6月16日 (土)

湖岸で娘と三人で 11 ・・琵琶湖の波と娘の靴・・

 適度に風が吹くお天気の良い日は、絶好のシャボン玉日和である。
 一吹きで十個ほどの泡が、風に乗り少し駆け足で南へと飛んでいく。
 更にその上には、一匹の鳶がクルクルと輪を描きながら、湖の上に広がる空を滑空していた。
 実際には餌を探すために、その目を凝らして飛んでいるのであろうが、私の目から見れば鳶が羽を広げ空を飛ぶ姿とは、なんともノンビリとしたもので実に羨ましいものがある。
 そんな鳶のお気楽な姿と風に任せて飛んでいくシャボン玉、それに無邪気な声を出しながらシャボン玉を追いかける娘の背中は、平日に硬くなった私の心を柔らかく揉み解してくれた。
 ひとしきり走り回り、シャボン玉と追いかけっこをすることにも飽きた娘が、私の元に帰ってきた。

「なあなあ、つぎはゆうちゃんがフウーってするわ。おとうさんが、こんどはおいかけてや!」

「エッ!お父さんが追いかけんの?」

 娘の言葉に、大きな抵抗を感じた私。
 何故なら、小さな子供がシャボン玉を追いかけ戯れる姿とは、とても絵になる風景で見ているこちらも微笑ましい。
 しかし子供がパイプを吹き、そこから飛び出るシャボン玉をいい歳したオッサンが追いかける姿というものが、私には何とも恥ずかしく思えたからである。
 そんな父の心など知る由もなく、彼女は勢いよくパイプを吹いた。
 仕方なく、私はシャボン玉を追い掛ける真似をする。

「モウ!おとうさん、もっとちゃんとシャボン玉をおいかけてや!」
 
 

 娘は二、三回パイプを吹いた後、私の態度に注文をつけてきた。
 四歳の子供でも、真剣に物事を取り組んでいるか否かは、しっかりと分かっているようである。そうでなければ、よほど私がつまらなさそうに、シャボン玉を追い掛けていたのであろう。
 
『しゃーないな〜(仕方ないなの意味)』

 心の中でそう呟いた私は、自分の中にある羞恥心を半分ほど捨てて、次から次へと飛んでくるシャボン玉を追い掛けては手ではたいた。
 不思議なことに、そんなことを何度かやっていると、私も段々とシャボン玉との追っかけこが、なんだか楽しくなってくる。
 いつの間にか、多少の羞恥心をまだ体の中に残しながらも、娘が作ったシャボン玉を夢中で追い掛ける私がそこにはいた。
 こういうことを「童心に戻って遊ぶ」と言うのであろう。
 また、遊んでいるうちに一つ気が付いたことがあった。
 シャボン玉は風などの影響を受けて、その形を少しずつ変えながら飛んでいる。
 その表面に七色の渦を作り、微妙に姿を変化させ飛んでいく姿に、私は数秒の間目を奪われてしまった。
 しばらくすると少風向きが少し変わり、シャボンの玉は湖の上を流れゆくようになった。
 生まれたての虹色の玉は、空の青と湖の青に挟まれて、気持ち良さそうに空中を漂い流れていく。
 まるでその空間だけが、ゆっくりと時間が流れているかのように見えるから不思議である。
 しかしそんなゆっくりと流れる時間も、彼女の声に一瞬で掻き消された。
 
「おとうさ〜ん、ちょっとコッチきて〜」 

 私を呼ぶ娘の声に後ろを振り返ると、娘の姿が随分と小さくなっていた。
 
『これはちょっと離れすぎた』

 そう思った私は、急いで娘が立つ場所まで走って戻った。
 てけてけチルドレンは、いつ明後日の方向へ走り出すか分からない。
 私が彼女から目を離している間、よくぞ一所にジッと動かず待っていてくれたものである。

「はい、これもってて」
 
 娘はそう言うと、パイプと石鹸水の入ったボトルを半ば強引に私に預けた。

「なんや、もうシャボン玉は終わりか?」

「うん、うちな、おみずのところでアソビたいねん」

 シャボン玉の次は、波打ち際で水遊びがしたいとのことであった。 
 波が寄せて来ると「ウワァ〜」と声を上げて、慌てて四、五歩後に下がる。
 波が引くと、また水際まで足を進める。
 湖の波は、海のそれよりも穏やかである。娘の遊び相手としては、ちょうど良い具合の波であった。
 寄せては引く波に合わせて、自分も攻めたり下がったり。
 そんなことを何度かやっているうちに、とうとう靴は濡れてしまったが、本人も私も御構い無し。
 水遊びをして服や靴がビチョビチョになる。これがまた楽しいのだ。
 靴も靴下も濡れてしまったが、そんなものは脱いで乾かしておけばすぐに乾く。
 大人になれば、濡れることを自然と気にするようになり、無邪気に波と戯れることもできなくなってしまう。
 だから何も気にせず、水と遊ぶことを純粋に楽しめるこの時期が、人の成長にとってとても大切なのだと私は思う。
 娘の横にも、彼女と同じように波と遊ぶ子供たちが大勢いた。
 キャッキャ、キャッキャと笑いながら、湖と遊ぶ子供たち。
 それは母なる湖「琵琶湖」が、まるで子たちと一緒に遊んでいるようかのように、私の目には映るのであった。
 
 

 
 

2007年6月 9日 (土)

湖岸で娘と三人で 10 ・・虹色の泡球と娘の笑い声

 当日の天気は、もう一つすっきりとしない空模様であった。
 しかし妻は皆が認める晴れ女で、ついでに私も(自称)晴れ男である。
 二人揃って出掛ける時、特に屋外で遊ぶと計画した日には、雨が降ったという記憶が全くない。
 これはまったくの偶然だろうが、今からちょうど十年ほど前の話。
 二人で一泊二日の旅行に出掛けたことがある。ただ運の悪いことに私たちがその地に向かって出発した時、別の招かざる客も私たちの向かう先と同じ場所に迫っていた。
 その客とは大型の台風である。天気予報を聞いた限りでは、間違いなく私たちが旅を楽しむ地を直撃すると思われた。
 しかし旅行の当日、台風は私たちがいる場所からやや南にそれ、駆け足で走り去ったのであった。
 おかげで風はかなりきつかったものの、雨はほとんど降ることもなく、無事旅行を楽しむことができたのである。
 その日の夜、ホテルのテレビで天気予報を見ながら、私たちは台風もそのコースを変えるほどのスーパー晴れ夫婦か、そうでなければ台風に嫌われたかのどちらかだ、と大笑いしたことを今でもよく憶えている。
 こんな具合の私たちだから、娘と三人で出掛けたこの日も、朝の天気は「なんや、もう一つやな・・」と思った空も、娘の「いただきます」の声を聞く頃には、雲もかなり途切れ途切れとなり、そこから五月特有のきつい日差しが、芝生の上一面に降り注ぎ始めた。

「お〜、やっぱり俺らは晴れ家族やな!」

 こんな呑気なことを言いながら、私は弁当のおかずを口の中に放り込む。
 食事中、娘は私の左斜め前に座っていた。
 彼女は口の中に物を入れたまま、何やカンヤと喋る名人である。しかしこれは行儀の悪い話であり、事あるごとに今までも散々注意してきたが、今のところ「馬の耳に・・・」といった状態である。
 この時もいつものように食べながら話をする娘に、お小言を一つ言う私。
 「ゆうちゃん、あんた喋んのはエエけどな、お口の中に物が入ってるときには喋りなさんな。何を言うてるか分からへんし、行儀が悪いで」

しかし、ここで素直に聞くようなら、彼女の悪癖もとっくの昔に治っているに違いなかった。 
 
「でもな、おにいちゃんも、たべながらしゃべってるやんか!」

「もう、人のことは言わんでよろしい。お兄ちゃんには帰ったら言うとくさかいに」

 高性能レーダーでいつも周囲に気を張り巡らせている娘は、妻や私の会話にいつも耳を傾け、そして家族全員の行動を細かく観察している。
 だから自分行動を正されると、「おにいちゃんも、いうてるやんか」「おとうさんも、やってるやんか」などの反論がすぐさま返ってくる。
 本当に「ああ言えば、こう言う」で、最後には逆にこちらが返す言葉を失ってしまうことも、最近は珍しくない。
 上の息子ではこのようなことはないのだが、これも女の子故のことだからであろうか。
 なんだかんだと喋りながらも、その口にはしっかりと食べ物は運ばれ、あれよあれよという間に娘はお弁当の中を空っぽにした。

「ゆうちゃん、もうぜ〜んぶ、たべたで〜。さあ、シャボンだましまっせ〜」 

 食べるだけ食べお腹がいっぱいになれば、もう彼女にはレジャーシートの上に座っている必要はなかった。
 しかし、私たちの弁当はまだ少し残っている。

「ちょっと待って!まだお父さんもお母さんも食べてるやろ。みんな食べ終わるまで待ちなさい」

 私は娘に、一応私たちが食べ終わるまで待つように言ってみた。
 だがこう言って、おとなしく待っていたためしはない
 この時も、案の定娘は早くシャボン玉で遊びたいと駄々をこね始める。
 仕方なく、私は弁当の残りを急いで口にかき込んで、噛むこともそこそこに、自分の胃袋にそれを収めた。 
 そしてバッグの中から、先ほど買ったシャボン玉セットを取り出し、ホッチキスでしっかりと留められたそのプラパッケージを外す。
 中から出てきたサックス型のパイプを見て、娘はもう待ちきれない様子であった。

「なあなあ、はやくセッケンのお水をいれて〜!」 

「分かってるがな!ちょっと待ちって」

 普通のものは、パイプをボトルの中に入れて石鹸水をつけるが、この日買ったパイプはそれとは少し違い、パイプの中に石鹸水を直接流し込むというものであった。
 急かされた私は慌ててしまい、石鹸水を少しこぼしてしまった。

「あ〜、おとうさんコボさはったで〜。アカンな〜」
 
 私の失敗を見逃すことなく、ご丁寧にそれを妻に報告する娘。

「・・・・・。誰のために急いでると思ってんねんな。さあ、できたわ。ほな、行くで!」

 私はぶつぶつとボヤキながら、用意ができたことを娘に告げた。

「なあなあ、どこでするの?」
 
 娘は私に、どこで遊ぶのかと聞いてきた。

「そうやな、あっこ(あそこの意味)の砂浜まで行こか。あそこやったら、なんぼシャボン玉が飛んでもエエやろう。ほれ、あっこまで走ってみい」

 そう言われた娘は、私の指差す方向へ「それ」っと言わんばかりに走り出した。
 
「お〜い、はやくおいでや〜! 」

 私は、パイプの中の石鹸水をこぼさぬようゆっくりと歩いたため、娘の方が一足先に砂浜の真ん中に立って私を呼んでいる。
 娘の下に到着した私は、彼女の前で早速パイプを思いっきり吹いてみた。
 するとパイプの中から、沢山の透明の泡が飛び出してくる。
 陽の光が当たったシャボン玉は、その表面に少し虹色の渦が見えた。
 北から吹く風に乗り、シャボン玉は南へと流されて行く。

「うわァ〜、いっぱいや!」

 シャボン玉が空を舞う姿は、本当に綺麗であった。
 そしてキャッキャと言いながら、七色の泡球を追いかけて遊ぶ娘。
 それを見て私は静かな笑みを顔に浮かべながら、何度もパイプを吹く。
 しばらくの間シャボン玉と娘の笑い声は、風に乗り南へと飛んでは消えていくのであった。

                  ・・・つづく・・・

 

 

 
 

2007年6月 7日 (木)

湖岸で娘と三人で 9 ・・うちのすきなモンばっかりでっせー・・

 大津湖岸なぎさ公園。
 この公園の名を口にする時はいつも「なぎさ公園」とだけ言っていたため、それが正式な公園の名前だと私は勘違いしていた。
 この正式名称は、今回初めてこの場所を訪れて、これまた初めて知ったわけであるが、それに気付いた場所がなんとも色気の無い話であった。
 人間生きていると、どうしても用を足したくなる時が一日に何度かある。
 そんなわけで、たまたま公園内でトイレを探して二、三の建物を巡り、最後に覗いた建物がトイレであった。
 そしてその入り口に「大津湖岸なぎさ公園」と書かれたプレートが掛かっており、それを見て「これが本当の名前なのか」と思った私である。
 
 それはさておき、現地に着いた私たちの目に映るマザーレイク「琵琶湖」。
 その湖岸には、波打ち際から順に白い砂浜があり、その砂浜を私の足で三十歩ほど歩くと、1メートル有るか無いかの高さで造られた石垣に遮られる形で砂浜が終わる。
 石垣の上には幅が広めの遊歩道があり、散歩やサイクリングを楽しむ人が行き交っている。
 遊歩道を渡ると、そこから芝生の広がる丘があり、丘の向こう側が駐車場という並びになっている。
 私たちが駐車場から芝生の丘に足を踏み入れた時には、すでに沢山の人がテントやパラソルを広げていた。
 その傍からは「ジュ〜」っという音と共に白い煙が立ち昇る。この日は北から風が吹いており、その風に乗って美味しそうな臭いが漂ってくる。
 
「次に来る時は、バーベキューもエエな」

 芝生の上は満員と言うわけではないが、それでもレジャーシートを広げることのできる場所は、ごく限られた場所しか残っていない様子である。
 そんな中でも、やはり琵琶湖を眺めながら弁当を食べたいと思った私は、妻と娘を連れて芝生の上を何処に向かうでもなく、テクテクと歩いてみた。
 すると丘の左隅、遊歩道から少し引っ込んだところに、ちょうど良い大きさの場所が空いているではないか。
 
「お!あそこやアソコ、ちょうどエエ場所が空いてるわ!」

 妻にそう言うと、私はすぐさま一人先にトートバッグを片手に持って、その場所を確保するために駆け出した。
 こういう時の場所とりも、お父さんの大切な仕事である。
 小走りで数十歩(この時は歩数などは数えてはいなかったが、多分それくらいであったと思うのである)。私は無事目標の場所に到達し、バッグの中から緑色のレジャーシートを引っ張り出した。
 
「ちょっと、ゆうちゃん、待ってって言うてるやん!」

 シートを広げようとしている私の背中越しに、妻の声が聞こえてくる。

 ふと振り向くと、娘がこちらに駆けてくる姿が目に映り、その姿はすぐに私の下にやって来た。
 妻に手をつながれていた娘が、どうやらその手を振り切って私を追いかけてきたようである。
 娘を走って追いかけてきた妻は、最後に到着。そして彼女を注意するために、一言こう言った。
 
「もう、ゆう!勝手に行かんといて!」

 しかし、娘の方も負けてはいない。

「だってなー、おとうさんもカッテにはしったやんかー。そやから、うちもはしったんやで!」

 この四月に四歳になった娘は、同じく四月から保育園では年中組となり、その生意気ぶりも今まで以上のものとなった。
 彼女にこちらの言うことを聞かせることも、一筋縄ではいかなくなってきた。
 まさに「ああ言えば、こう言う」の状態が、彼女と私たち親との間では毎日のように繰り返されている最近である。
 この世に生を受けてから、たった四年で大人とやり取りができるようになったことは本当に喜ばしいことで、しっかりと成長している証なのである。
 落ち着いて考えることができる時には、こんな風に思いもできる。
 しかし、娘があれやこれやと屁理屈を並び立てて反論している真っ最中には、そんな親としての嬉しい気持ちも何処へやら・・、となってしまうのが正直なところである。

「あー、もう!分かった分かった。とりあえずシートを広げるの、手伝ってくれ!エエ加減、腹が減ったわ」

 人間、腹が減っている時は怒りっぽくなるというが、この時の私はまさにそのとおりであった。
 時間はもう午後一時を回っており、私のお腹は空腹の限界にきていた。
 二人の間に無理矢理割り込み、その場を少々怒った口調で押さえ込んだ。
 二人は渋々その矛を収め、三人で五人用のレジャーシートを広げる。
 私がシートの四隅にピックを差している間、その真ん中にお弁当を並べている妻。
 娘は弁当を見て、待ちきれない様子でソワソワしながら正座をした。
 ピックを差し終わった私が最後に座り、これで全員準備完了。
 芝生と同じ色をしたレジャーシートの真ん中には、おかずだけが詰められた三つの弁当箱。
 その一つはピンクの小さなもの。あとの二つは黒塗りの大きな箱。
 
「うちのおべんとうは、ピンクいろやで〜」
 
 おかずがいっぱい詰まっているであろう自分の弁当箱を見て、娘は嬉しそうにそう言った。
 ご飯は別の袋に入った沢山のおにぎり。
 シソやタマゴ、それに鮭のふりかけがまぶしてある三種類のおにぎりと、海苔のまかれた昔ながらのものが一種類。
 合計四種類のおにぎりが、スーパーのビニール袋いっぱいに入れられていた。

「よっしゃ、ほんなら(それではの意味)皆、食べよか!ゆう、イタダキマスを言うてくれるか」

 食事前、娘が「イタダキマス」を言うことが、最近の我が家での暗黙の了解となっており、この日もそれに従った。

「はい、それではみなさん、オイシイきゅうしょくをいただきます!」

 保育園で言っているのと全く同じ言い回しで、この日も元気にイタダキマスを言うことができた彼女。
 私は「今日は給食とちゃうで!」とツッコミを入れながらも、そんな娘の姿を目にして、皆でご飯を食べることのできる幸せを感じていた。
 昨日の晩に何を食べたかと聞かれると、それに答えることのできない人が案外多いという。
 私もその中の一人である。したがって、この時のおかずが何であったかということは、今となってはよく憶えていない。
 しかし、弁当の蓋を開けた時に「うわァ!美味しそう〜」と思ったことはよく憶えている。
 それは娘も同じだったようで、中身を見るなり感動の声を大袈裟に上げた。

「めっちゃオイシソウ〜。うちのすきなモンばっかりでっせー」 

 「うち」という言葉以外にも、私が「あんた、何処でそれを覚えてきたんや???」と思う言葉がある。
 それが語尾につける「でっせー」である。
 関西弁ではお馴染みの言葉ではあるが、今の私と同じかそれよりも若い人たちは、この言葉を頻繁に使うということはないように思う。
 私自信も「・・・でっせー」などとは外でもほとんど言わないし、ましてや家の中でそう言った記憶など全くない。
 これも保育園で習得してきたのであろうが、園児たちがこの言葉を使いこなしているとは思えないし、一体誰から習得してきたのか、未だに私の中では大きな疑問となっている。
 まあ、そんなこんなで当日第二の目的である「湖岸で弁当を食べる」の一歩手前まで至った私たち三人であった。

                  ・・・つづく・・・
 
 

2007年6月 5日 (火)

湖岸で娘と三人で 8 ・・ワンダーランドと母なる湖・・

 Mさんと一緒に三十分ほどコーヒータイムを楽しませてもらった後、店内でもう一度この日のお礼を述べ、Mさんと別れた私たちであった。
 車に乗り込み「いざ、なぎさ公園へ」と思った矢先、娘が私たちに「ちょいと忘れちゃいませんか?」と言わんばかりに、大きな声を張り上げた。

「なあなあ! シャボン玉は?」

「あ、そやそや。それを忘れてたな!」

 そう言いながら、娘に謝る妻の声
 以前に買ったシャボン玉用のパイプも何処かへやってしまい、道の途中で買おうと思っていたのだが、自動車を走らせている間に、それこそシャボンの玉のごとく、私たちの頭の中で娘との約束は弾けて消えていたのであった。
 そこでなぎさ公園へ向かう前に、近所にあるホームセンターに行くこととなった。
 信号待ちを含めても、なぎさ公園までは一、二分であったが、私たちを乗せた車はファーストフード店の駐車場を出て左に曲がると、Mさんから教えてもらった「二つ目の信号」を一旦越えて、その先にある日曜大工のお店へと足を運んだ。
 自動車を店の駐車場に止め、最近の娘の指定席である右後部座席のドアを私は空けた。

「だっこ!」

 ドアを開けた途端、ニコニコ顔でいきなり私に抱っこをせがんでくる娘。

「あのな、ゆうちゃん。もう四歳やろ。頑張って歩こか・・」
 
 おそらく最後には、抱っこせざるを得なくなるとは分かっていたが、一応彼女に自分で歩くように言ってみた。

「イヤや! だっこがイイの!☆」

 もうすでに、時間は正午を回っている。ここで歩く歩かないの押し問答をしていては時間の無駄である。そう思った私は仕方なく娘を抱っこして、妻と三人で近くにあった入り口から店に入る。
 ところが店の中に入るやいなや、今までコアラよろしく私にしがみ付いていた娘は、降ろせとばかりに激しく体を左右に揺すり始めた。

「なんや、降りんの? 歩くのか・・?」

「うん、あるく」

 彼女がそう言ったので、私は両手の力を緩めるた。
 するとまるで昇り棒でもしているかのように、スルスルと私の体を滑り下りる娘。
 最近、彼女がお気に入りの着地方法である。
 何故、自動車を降りる時は「抱っこ」と言っていた娘が、急に「歩く」と言い出したのか。
 答は只一つ。そこが広いお店の中であったからである。
 広いお店は、小さな子供にとってまさにワンダーランドである。
 見たこともない、数え切れないほどの商品。販促ように配られている風船に、簡単な仕掛けで自動的に動いている宣伝用のポップ。
 試食用に置かれている、ソーセージやハム。
 お菓子やウィンナー、歯ブラシに歯磨き粉のパッケージに描かれているアニメのキャラクターたちは、そのどれもが子供たちの心を引きつけて放さない。
 ショッピングセンターとは、感覚的に私の娘と同じくらいの歳の子からしてみれば、遊園地とたいして変わらないのかもしれない。
 そんなショッピングセンターの魅力を十分に知っている「てけてけチルドレン」が自分で歩く、つまり「自分の行きたい所、アチラこちらへと行ってみたい!」と言ったのは、十分納得できる話であった。
 しかしである。親の立場としては、それは非常に困るのである。
 早くなぎさ公園に行きたいと思っている私たちは、ここで時間を費やしている暇などなかった。
 そこで娘はその右手を私に、左手を妻に握られ、シャボン玉が売られている棚のある場所まで、がっちりとガードされて一直線に向かうこととなる。
 少々抵抗した彼女ではあったが、売り場に並べられているシャボン玉セットを見ると、その機嫌もいっぺんに良くなった。
 
『なんや、ようさん(沢山の意味)種類があるな・・』

 陳列棚に並んでいる商品を見ながら、私は一人心の内で呟いた。
 私が子供の頃、シャボン玉のパイプと言えば、緑やピンクといった目立つ色の、真っ直ぐに伸びたパイプ状のものしかなかったように思う。
 しかし今は、配色こそ変わってはいないが、その形は本当に様々である。
 昔懐かしい、オーソドックスなタイプのもの。トランペットやトロンボーンなどの楽器の形をしたもの。
 ピストルの形をしているもの。
 玉の出方も、昔よりも随分と派手になっている。
 一息吹くと、沢山の泡を作ることのできるパイプ。
 息を吹くのではなく、電動で動きスイッチを入れると無数のシャボン玉が作り出されるもの。
 これなどは、もはや小さい子供のオモチャの粋を越えているようにすら思ってしまう。
 目移りするほどに並べられたシャボン玉セットの中から、娘が選んだのはサクソホーンの形をしたパイプであった。
 これも一吹きで、十個ほどのシャボン玉が作れるものであった。
 
「本当にこれでエエねんな、後から『違うのが良かった』って言わんといてな」

「ウン、うちな、これがエエねん」 
 
 あとから違うものが欲しかったと言われないように、しっかりと念押しをした後、またまた私たちは娘の視界を遮るようにして彼女の両脇を堅め、そのままレジへと足早に向かった。
 気に入ったパイプを手に入れた娘は、とてもご機嫌さんである。
 その勢いで、私たちはそのまま車に乗り込んだ。
 キーを挿しエンジンをスタートさせ、軽めにアクセルを踏む。
 それに応えて自動車はゆっくりと動き始める。
 そして元来た道に出て、Mさんから教えてもらった信号のある交差点へと車を走らせた。
 数分後、車はその交差点に到達。私がハンドルを左に切ると、すぐに駐車場のゲートが目に入った。
 空き具合が少し心配ではあったが、それも問題なく車を無事止めることができた。
 車が止まるとすぐに娘は降りたいと言ったが、彼女が降りるのは一番最後である。
 まず私が出て、妻が中から大きなトートバッグを私に渡した。これには弁当にお茶、それにシートなどが入っている。
 重さも結構あった。
 それを私が受け取ると次に妻が出て、その次にようやく娘の順番が回ってくるのである。
 駐車場から東に見える芝生で覆われた小高い丘の向こう側。そこはもう琵琶湖である。
 私たち一家は駐車場を横切り、その丘の下に立った。
 芝生の丘と駐車場は垂直に少しばかり高低差があり、土砂が崩れないように石垣で壁面を固めてある。そしてその上に芝生が広がっている。
 目の前にある数段の石段を上り、芝生の上に足を置いたとき、いっぱいの水を湛えた湖が、私の視界に入りきらずに広がっていた。
 その目の中に到底納まりきらない大きさ。これが日本一大きい湖の琵琶湖である。
 そんな琵琶湖の大きな姿を見ると、何故だか私はいつもホッとした気持ちになる。おそらく私だけでなく、他にもそんな風に思う人がいるであろうと私は考える。
 人に安らぎを与える。これも母なる湖「琵琶湖」が持つ、大きな力の一つなのであろう。

「なあなあ、はやくおべんとう、たべようよ! うち、オナカすいてんねん」

「分かった分かった。はよ食べような」

 娘は景色など二の次で、やはりお弁当が第一のようだ。
 それもまあ、四歳ではまだまだ「花より団子」は仕方のないことである。
 こうして私たちは、なぎさ公園の岸辺へと(ようやく)やってきたのであった。

                  ・・・つづく・・・


 
 

2007年6月 3日 (日)

湖岸で娘と三人で 7 ・・天の一声・・

 店内で席を探すと、キッズルーム(私がそう勝手に呼んでいるだけだが)の大きな一枚ガラスの窓際に設けられていたテーブルが上手い具合に一つ空いており、私たちはそこに陣取ることにした。
 ガラスの向こう側は湖岸道路を挟んですぐ琵琶湖であり、対岸までスラリと伸びる近江大橋の姿も、はっきりと見ることができた。
 キッズルーム内には大きなプレイジムがあり、そのジムが部屋の大半を占領している。
 テーブルはそのジムが分けてくれた、わずかなスペースに五つほどがあるだけであった。
 娘はこの部屋に入ると、すぐにプレイジムで他の子に交じって遊び始めた。
 私は妻にホットコーヒーを頼み、娘の監視役兼荷物の見張り番をするために席に残ることとなり、妻とMさんがレジカウンターへと向かった。
 猿のようにジャングルジムに登った後は、トンネルの中に姿を隠す娘。
 そして数秒後、今度は「おとーさーん」と大きな声で私を呼びながら、滑り台を滑って姿を現す。
 その様子はなんとも無邪気で、遊ぶことを心底楽しんでいることがよく分かる。
 「遊ぶことを心底楽しめる」というのは本当に幸せなことで、人が子供である時期というのは、一番それを満喫できる頃なのであろう。
 娘の楽しそうな笑顔を見ながらそんなことを考えているうちに、妻とMさんが戻ってきた。
 妻からコーヒーをもらうと、私は中身をこぼさぬよう少し注意してカップの蓋を開ける。
 そしてフワフワと昇ってくる湯気の根元を軽くフッーと吹いた。
 ゆっくりとコーヒーを口にしていると、ジムで遊んでいた娘も私たちの元へと帰ってきた。
 娘の定番は「アップルジュース」である。
 
「なあなあ、おかあさん。うちのアッポージュースは!」

 娘は最近、自分のことを「うち」と呼ぶ。
 我が家の人間は、誰一人として自分のことを指して「うち」とは言わないので、保育園で覚えてきたのであろう。
 妻からジュースを手渡された娘は、それを持ったまま私の椅子の後ろにその姿を隠した。
 Mさんは机を挟んで、私の前に座っていたのだが、まだ彼女のことをかなり意識しているようである。
 立ったままで飲ますわけにもいかないので、とりあえず私の膝の上に座らせることにした。
 体はMさんの方に向けることはできたが、それでも尚、娘の顔は下に向いたままであった。
 その後少しジュースを飲んでは、再びプレイジムで遊ぶと言ってみたり、私たちの周りをウロチョロ歩き回ったりと、娘の落ち着かない様子は最後まで続いた。
 大人の私から見たMさんは、とても気さくそうな感じのする方であった。
 会社でいつも顔を合わせている妻とMさんは、私の目の前で、当たり前と言えば当たり前だが、ごくごく普通に話をしている。
 私にも、その輪の中に「いつでも入ってきてね」と言わんばかりの笑顔。
 そして心には、何の壁も無い雰囲気を彼女は持っていた。
 Mさんも私も湖国出身ということもあり、それも初対面の彼女と話をするのには大きく役に立った。 
 地元の話となると、根っからの京都人である妻の方が、チンプンカンプンになっていたようである。
 さて、コーヒーを飲みながらMさんと話をしていた私と妻であったが、話の合間に私は少しばかり別のことを考えていた。
 本日第二の目的である「湖岸で弁当を食べる」についてであるが、実を言うとこの時は、まだ琵琶湖岸の何処で弁当を広げるのかということを決めていなかったのである。
 時間も時間であったから、そう遠くに行くことはできない。もちろん二、三の候補地は挙げていたが、最終的な場所はまだ絞りきれていなかった。

『さてと、この後何処に行こかいな・・』

 妻とMさんとのやり取りを聞きながら、そんなことをボンヤリと考えている折りに、Mさんがタイムリーな話題を提供してくれたから助かった。

「私、昨日ね、なぎさ公園でバーベキューしてたんよ!」

 Mさんの言葉に、私はすぐさま飛びつき、そして質問した。

「エッ? なぎさ公園って、すぐその目の前のそこ・・。あそこってバーベキューなんてできるんですか?」

「エエ、できますよ。みんな芝生の上にテントを張ったりして、沢山の人がやってましたよ。あそこならお弁当を食べることもできるしね」

 大学に通うため、滋賀を離れたのは今から二十年近く前の話である。
 大学卒業後、短期間ではあるが実家に戻ったり、京都に住んだ後も度々実家には足を運んでいる。 
 しかし琵琶湖岸で弁当の蓋を開けたことなど、その間おそらくは一度もなかった。
 いや、その間どころか、私の実家は琵琶湖からかなり離れているせいか、幼い私が家族と琵琶湖の岸で弁当を食べたという記憶もない。
 よくよく考えてみると、湖岸で弁当を食べるのに絶好の場所というのは、私の地元にあって私の知らない空白の場所であった。
 しかし今、「何処で弁当を食べようか」と迷っていた自分の目の前にそんな絶好の場所があったとは・・・。灯台下暗しとは、まさにこのことを言うのであろう
 後は、駐車場があるかどうかが問題であった。
 目の前が絶好の場所であっても、まさかこのまま店の駐車場に自動車を止めておくことはできない。

「あの、そこって駐車場はあります?」

 私はMさんに聞いてみた。

「もちろんありますよ。ここの出口を左に曲がって、二つ目の信号やったかな・・、そこを右折したら駐車場ですよ」

 彼女のこの答によって、私の心の中で次の行き先がはっきりと決まった。

「エエやん、そこにしようよ」

 妻も私と同じく、なぎさ公園が良いと思ったようであった。
 この日Mさんには、ぬいぐるみのプレゼントをいただいただけでなく、私たちがレジャーシートを広げるのに何処が良い場所かという情報まで提供していただき、本当にMさん様サマの思いである。
 こうして当日第二の目的である「湖岸で弁当を食べる」の場所は、ありがたい「天の一声」で決まったのであった。

                  ・・・つづく・・・
 
  

2007年5月31日 (木)

湖岸で娘と三人で 6 ・・うれし恥ずかしの初めまして・・

 さて、某有名ファーストフード店の駐車場に到着した私たち一家。
 止まった車の中から妻は、先方に電話を掛けた。
 待ち合わせ地点から先方のご自宅まで、さほど遠い距離ではないということを妻が伺っていた。
 我が娘のためにご自宅から近いとはいえ、わざわざお越しいただくのに待たせては失礼だと考え、待ち合わせ場所に私たちが着いてから電話した方が良かろうとの考えからである。
 妻の電話が終わると、とりあえず私たちは車の外へと出た。何しろ娘がこれ以上車中にいることが我慢できそうにもなかったし、私自信も手足を思いっきり伸ばしたい気分であった。
 スカッとした空模様ではなかったが、それでも日は差している。
 まず最初に、私がドアを開けて外に出た。次に私は右後部ドアを開けて娘を外に出そうとする。

「ジブンでできる!」

 娘にとって、車の床が地面から少々高いところに位置しているので、降りにくかろうと思い私は彼女に手を差し出した。
 しかし最近、何でも自分でやりたがる娘は、大きな声でハッキリと拒否したのであった。

『何も、そないに嫌がらんでも・・・』

 そう心の中で呟きながら、私は差し出した手を引っ込めた。
 よっこらしょといった具合に、半ば車内から飛び降りるようにして出てきた彼女。
 シートにずっと座っていることに飽き飽きしていた娘は、「場所を得たり」と言わんばかりの顔をしている。
 そんな彼女の顔を見て、私は即座に娘の手を掴んだ。
 てけてけチルドレンは、いつ何時、何処へ向かって走り出すか分からない鉄砲玉である。
 特にこちらの不意をついて走り出すことがよくあるので、危ないと思ったらすぐに手を掴まないと、場所が場所だけに後々大変なことになる。

「モウッ、イタイな! ハナシて〜よ!」
 
 自由を求めて外へ出たはずなのに、いきなり手を強く握られた娘は、ご機嫌斜めになってしまった。
 娘は何とか我の思うがままに動きたかったのか、自分の体を右に左にとくねらせながら体を上下させ、無理矢理私の手から逃れようと抵抗してきた。

『やれやれ、しゃーないな・・・』

 そう思った私は、彼女の両脇の下に手を入れると、そのままグイっと娘を持ち上げ抱っこした。
 抱っこされることが大好きな娘である。彼女をおとなしくさせるには、現在はこれが一番の方法である。
 この特効薬によって、一応娘の行動は抑えることができた。しかしその目と耳、それに口は「自分の周りで何が起こるのか」ということを察知するために、フル稼働している。

「なあなあ、なんでオミセに、はいらへんの???」

「うん・・、今日はここでな、お母さんの会社のお友達と待ち合わせしてるんやで」

 娘の問い掛けに、妻は答えた。

「エ〜、なんでマッテるのん?」

「今日はな、ゆうちゃんにぬいぐるみをプレゼントしてくれはるんやって!」
(ここでは、娘の名を仮に「ゆうちゃん」とさせていただきます)

 妻のこの言葉に、娘の目が明らかに今までの退屈そうなそれに取って代わった。

「どんなヌイグルミなん?☆★☆?

 もともと娘の目は丸い目なのだが、それが更に丸く大きく開いている。

「ネコさんの、大きなぬいぐるみやって!」

「やったー! ウチな、めっちゃウレシイわ!」

 妻の返答は、娘のテンションを絶好調な状態にまで、一気に突き上げた。
 
「ほな、ゆうちゃん、おとなしく待つことができるかな?もうすぐココに来(き)はるしな。エエ子にしてへんかったら、ぬいぐるみをもらえへんで」
 
 そう言いながら、私は娘を下に降ろした
 このように言っておけば、しばらくは静かにしているだろうと計算してのことである。
 プレゼントをもらえないとなっては、彼女にとって一大事。
 その辺は娘も心得たもので、車を降りた直後に喚いていたのが嘘のようにおとなしくしている。
 少々大袈裟な言い方だが、親と子の間での心理戦なり駆け引きなりは、子供がこの年齢になるともう成立するのかと、今になり感心している次第である。

「あ!来(き)はったで!」

 妻の声で、私は駐車場の入り口の方へ目をやり、娘はその方向へ走って行こうとする。
 私は慌てて自分の手を伸ばし、娘の腕をギュっと掴んだ。
 私は再び娘を抱っこして、妻と二人で先方さんの方へ歩いた。
 ここで、この日お会いした方を仮にMさんと呼ばせていただく。
 Mさんは、その腕に大きな白いネコのぬいぐるみを抱え、徒歩でやって来られた。
 双方挨拶のできる距離まで近づくと、まず妻とMさんが言葉を交わした。それに続き、私も「はじめまして」と挨拶をする。
 娘はと言えば、おしゃべりで行動派のくせして、初対面の大人がいると、それこそ借りてきた猫のようにおとなしくなる。
 しかし彼女の目は、しっかりとぬいぐるみを見ている。
 顔では緊張していたものの、内心は「ウキャキャ」と笑っていたに違いないと思うのは、私の考えすぎであろうか。
 
「立ち話もなんなので・・、中でコーヒーでも飲みませんか」
 
 私の誘いで、皆が店の中へと入ることになった。
 しかし大きなぬいぐるみを持って店内に入ることは、とても大変である。
 そこでこのネコは、車の中で私たちを待つことになった。
 ここで娘は、ぬいぐるみとのしばしの別れに少々グズリかけるのだが、それを見た妻が娘に問い掛けた。

「ゆうちゃん、何が飲みたいの?」

 妻の一言で、娘のグズグズがピタッと止まった。
 彼女の食い気が、別れの悲しみを吹き飛ばしたようである。
 こうして私たち四人は、店の中へと足を運んでゆくのであった。(娘は依然として、私に抱っこされたままであったが・・・)

                  ・・・つづく・・・
 
 

 

 
 
 
 

2007年5月30日 (水)

湖岸で娘と三人で 5 ・・娘のオナカと石坂線・・

 国道161号線に入ると、すぐに踏切がある。
 京阪電気鉄道京津線が道を横切っているのである。そして下り坂は、そのまま一直線に琵琶湖岸まで続く。
 途中、先程横切った線路が、道の左側から再び姿を現す。
 しかしそこに遮断機はない。線路は道を横断せず、そのまま道路の真ん中にまるでその背骨のように敷設され、161号線と共に坂を下る。
 この時は電車とすれ違うことも並走することもなく、道路は車だけが行き交っていた。
 この坂道を下りきると、また一つ踏切がある。そしてその踏み切りのすぐ右に見えるのが、京阪電車の浜大津駅である。
 
 浜大津駅は京津線の東端の駅であり、ここから石山坂本線(通称石坂線)に乗り換えることができる。
 また浜大津駅は大津港と道を挟んで目と鼻の距離であり、大津港から出発する観光船に乗り、琵琶湖観光を楽しむことができる。
 この石山坂本線は、わずか14キロほどの運行距離ではあるが、その短い支線の駅名には、世に名高い名称がいくつか出てくる。
 まずこの路線の始発駅である石山寺駅。この名前を聞いてピンとこられた方もいらっしゃると思うが、あの紫式部が「源氏物語」を書くにあたり、あれやこれやとこの場所で構想を練ったと言われている、あの石山寺近くにある駅である。
 石山寺駅は、浜大津駅から見て南に位置する。
 南の次はその反対側、浜大津駅から北へ一つ上がったところにある三井寺駅。ここから徒歩十分ほどで三井寺へ行くことができる。
 正式名称は「長等山園城寺」と呼ばれる三井寺。このお寺の名前を聞いて、まず私の頭の中に浮かんでくるのは「三井の晩鐘」である。
 この鐘の音を聞いたことがあり、それが美しい音であったため、忘れることができないのであるなどと言った類のものが理由ではない。
 私自信、この鐘の音は聞いたことが一度もない。
 しかし子供の頃、なぜか我が親父殿が「三井の晩鐘」という言葉を何度も口にしていたような記憶があり、その時に耳にした名前が、今に至るまで何故か耳から離れない。
 それから三井寺と聞くと、まず一番に「三井の晩鐘」の名前が自然と頭に浮かんでくるのである。
 そして次に、その境内に数え切れぬほどある桜の木。三井寺のホームページを調べてみて驚いた。
 なんとその数は一千本以上あるそうだ。
 今から七、八年前のことになるが、妻と二人してこれらの木に咲き乱れる桜の花を見に行ったことがある。
 古い思い出ほど、自分にとって印象的であった部分だけが記憶として残り、また都合良く勝手に塗り替えられがちであるが、この時の光景はまるで桜の花の空間に包まれたようで、辺りの色すべてが桜色であったような記憶が私の頭の中に残っている。
 さて、三井寺を出た後は再び三井寺駅へ。
 そしてそこからいくつか駅を越えて、更に北へと向かうと近江神宮前駅。
 ここからはもうお察しの付くとおり、近江神宮へと足を運ぶことができる。
 近江神宮には、大津京(実は667年から672年までのわずかな期間ではあるが、滋賀県にも都が置かれていたのである)を開かれた天智天皇が祀られている。
 そして実はこの神社、時計と深い縁のある神社である。
 天智天皇は、日本で始めて時計を作らせたことで有名である。その時計は「漏刻」と呼ばれるそうであるが、簡単に言えば水時計であったと聞いている。
 そして六月十日の「時の記念日」には「漏刻祭(ろうこくさい)」という祭事が行われるそうである。
 この「漏刻祭」には時計メーカーや時計店の方々が参列して、国内外の最新時計が奉納されるそうである。またこの神社には「時計博物館」なるものもあり、「漏刻祭」で奉納された時計を見ることもできるとのことである。
 
 またまた随分と話が脇道へと逸れてしまった。
 下り坂で始まった国道161号線が、ようやくその長い坂道から開放され踏み切りを渡ると、この道は一つの交差点にぶつかる。この時点で、琵琶湖は目の前に見えている。
 これを左へ行くと、161号線がそのまま続きやがて福井県へと至る。真っ直ぐ行くと大津港(これはもう本当に目の前である)。そして右へ曲がれば琵琶湖の南端方面へと向かう。
 私は車のハンドルを右へと切り、南へと車を走らせた。
 琵琶湖を目にしてか、娘の機嫌はすこぶる良い。
 右折してからしばらくは、湖岸近くを走るこの道と琵琶湖の間には沢山の建物があり、それが邪魔をして車を走らせながら湖面をみることができるのは、ほんの僅かな時間ではある。だが娘の気分を換えるには、それでも十分であったようだ。
 ハンドルを右へと回転させてから十五分と走らないうちに、道は湖の際を走るようになる。そしてその左前方に、青い湖面の上を長く美しく伸びる近江大橋が見えてきた。
 第一の目的である「娘へのプレゼント」の受け渡し場所である、某ファーストフード店の看板も私の視界にはっきりと映った。
 橋への取り付け道路をほんの少しだけ過ぎ、私はブレーキを踏み、ウィンカーを右に出した。
 そしてゆっくりと右折して、車を駐車場に止める。
 
「さあ、着いたで! いっぺん外に出よか」

 私の真後ろに座っている娘の方へ振り返り、私は目的の地に到着したことを彼女に知らせた。
 しかしこの時の娘の顔は、私を見てはいなかった。
 彼女の視線はただ一点、ファーストフード店の店内を物欲しそうに見ているだけであった。
 そして次に彼女が口にした言葉はこれである。

「ア〜、ちょっとオナカがすいてきたな〜。なんかたべたいねんけどな〜・・・」 

「おいおい、さっきまでシコタマおやつを食べてたやないか! よう、そんなこと言えるな。どんな腹してんねんな!」

 これは娘の言葉に対する私のツッコミであるが、妻も続けざまに同じような言葉で娘につっこんだ。
 腕時計を見ると、十一時三十分過ぎ。たしかにお昼時であるが、それは朝食を食べてから何も食べていない時の話である。
 まったく、これだから四歳にして18キロの体重なのだ。
 そしてこの言葉を聞く限り、見事に突き出た新幹線の先頭車のようなお腹が引っ込むことは、まだまだなさそうである。
 そんな風に思った日曜日は昼時前、幼い娘を持つ父であった。

                  ・・・つづく・・・
 
 
 
 
 

2007年5月27日 (日)

湖岸で娘と三人で 4  ・・わたし、モウつかれたわ・・

 私が住む嵯峨野から、堀川五条や烏丸五条といった大きな交差点を渡りながら国道1号線を走り琵琶湖へ至るには、急な峠を二つばかり越えねばならない。
 一つ目は京都市東山区と同山科区を分けている、東山の峠である。
 造られた経緯をよくは知らぬが、おそらくは東山五条の交差点で頻発する交通渋滞を緩和するため建設された五条バイパス。
 バイパスに入ると同時に、急な上り坂となるこの道
 アクセルをキックダウンさせ、急勾配を上りきるともう一つ小さなアップダウンがあり、それを越えると東山トンネルと呼ばれるトンネルへと車は入って行く。
 トンネルの中間地点辺りから、今度は道が徐々に下り始め、トンネルと抜けるとその傾斜度は急にきつくなり、加えて道は大きく右へと弧を描いている。
 しかも国道の上下線を分けるコンクリートウォールが道路中央に設けられており、カーブの入り口からはその出口の様子を窺えない。
 もう一つおまけに、この曲がり道を少し過ぎた辺りから先は、交通渋滞の名所であり、時にはカーブの出口付近から渋滞が始まっていることもある。
 この峠道は何度通っても、本当に気を使う道である。
 右カーブを抜けても、急勾配の下り坂は直線となって続く。
 それを過ぎると、やや傾斜度を緩やかにしながら、今度は道が左へと大きく曲がっていく。
 そしてその左の曲線を抜け終えると、車はようやく平坦な道の上を走ることができるのである。
 この第一の峠道を越えている間、娘はと言えば二つ目のお菓子の袋を開けて、それを夢中で食べていたようである。
 だから峠越えの間、彼女はとても無口であったし、この先もしばらく車内は、とても静かであった。
 ここから先、道はしばらく一直線に伸び、その右に新幹線の高架線路が同じく真っ直ぐに並走している。
 この一本に伸びた道の先に目をやると、再び山々の連なりがある。
 この日は車の量も少なく、軽快に車を走らせることができた。
 車が進むにつれ、次第に目の前にある山の姿は大きくなり、遂には長く伸びた直線の前に立ち塞がる。
 それに行く手を阻まれた1号線は、その体を再び大きく左へと曲げる。
 このカーブを曲がると、私の心にはいつも「もうすぐ滋賀県だ」という思いが自然と湧いてくる。
 そしてそこからちょっと走ると、立体交差の上り口へと車は差し掛かる。
 坂の途中で左にそれていく道があるが、これは名神高速道路の京都東インターチェンジへの入り口である。
 私たち親子も、このインターチェンジはよくお世話になるが、この日はここを素通りして坂道を登りきった。
 そこから今度は、またまた道が大きく右に曲がる。そして道がその弧を描き終えた頃、車は京都府から滋賀県大津市へと入る。
 我が家を出発してからここに至るまで、時間にして三、四十分といったところであろうか。
 国道一号線が県境を越え、その少し先にある名神高速の高架を潜ると、いよいよ第二の峠「逢坂越」へと差し掛かる。
 
「是れやこの 行くもかへるも 別れては 知るもしらぬも 逢坂の関」

 蝉丸の詠んだ和歌で、小倉百人一首に撰集されている秀歌の一つである。
 私が小学生高学年の頃、冬休み明けの一月になると、決まって百人一首を覚えるという授業があった。たしか国語の時間を使ってそんなことをやっていたのではないかと思う。
 しかし私は正直言って、この時間が好きではなかった。
 小学生の私にとって、和歌はほとんど意味不明であり、訳の分からぬ言葉を覚えることが、苦痛で仕方なかった。
 一月の後半になると、クラスで百人一首大会があるのだが、そんな具合であるからして、もちろんそれぞれの歌を暗記しているはずもなく、結果は惨憺たるものであった。
 だが何故か、この歌だけは私の耳にすんなりと滑り込んできた。
 そして百人一首大会当日は「蝉丸だけは、絶対に取ってやろう」と思い、大会開始の合図と同時に、その札だけを必死に探したことを今でもよく憶えている。
 京都に都が建設される以前からここは交通の要衝であり、平安時代に入りこの場所に関所が設けられた。
 それが歌にも詠まれている逢坂山の関所である。
 この関所址の記念碑が峠を越える国道一号線沿いに立っているらしいが、いつも自動車であっと言う間に越える峠であったので、今回のことを書くにあたり、逢坂山関所について調べてみるまで、記念碑が立っているということは全く知らなかった。
 京都方面から来ると、ほぼ真っ直ぐに伸びた長い坂道がしばらく続いた後、傾斜を少しきつくさせながら道は右に曲がっていく。
 そして坂を上りきる辺りから、道は左に大きく体をくねらせて、上ってきたよりも遥かにきつい坂道を車は一気に駆け下りるのである。
 下り坂の途中で、道が二つに分かれている。
 右を進めばそのまま国道1号線。左へ行けば国道161号線である。
 私はここで車のウィンカーを左に出し、161号線へと流れた。
 ちょうどその頃、お菓子も飽きたのか、娘がまたグズリ出した。しかしここまで来れば、琵琶湖はもう目と鼻の先である。
 
「さあ、もうすぐ琵琶湖が見えてくるで!」

 私は娘の退屈モードな気分を変えるため、陽気な声で目的地が近いことを知らせた。

「やったー。やっとビワコや! わたし、モウつかれたわ・・」

「よう言うわ! 座ってただお菓子を食べてただけやないか」

 娘の生意気な言葉に、私は思わず「つっこみ」を入れてしまった。
 四歳の娘には、まだ遠出よりは近場で遊ばせてやる方が、彼女のために良さそうである。
 そんなこんなで私たち一家を乗せた車は、目的地まであと一息の所までやって来たのであった。

                  ・・・つづく・・・