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こんな記事を書いてきました

特価品の釣竿持って Feed

2008年11月 9日 (日)

特価品の釣竿持って 46 ・・引き際・・

 ここに至るまで、当然のことながら息子がずっと竿を握っていたわけではない。細く長い釣竿を持つ”コツ”というやつがまだ上手く掴(つか)めていない彼の腕と手は、それを長い時間支えることができなかった。結果として息子と私は交互に竿の持ち手となり魚を待ったのだが、この時分になると徐々に息子よりも私の方が釣りをする時間が長くなってきた。
 

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2008年11月 5日 (水)

特価品の釣竿持って 45 ・・のんべんだらりんとした時間・・

 時折、川の上を低空飛行するサギ。その遥か上空では、二匹の鳶(とんび)が大きな羽を広げて気流に乗り、滑空しながら円を描いている。
 川の真ん中では、ポチャンという音と共に波紋が同心円状に広がる様子が、10分に一度くらいの間隔で私の聴覚と視覚を柔らかく刺激した。
 ”のんべんだらりん”とした時間だけが、ただただ過ぎて行く。目の前を流れる川と同じ、本当に穏やかな時間の流れである。
 

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2008年10月26日 (日)

特価品の釣竿持って 44 ・・気を紛らわせながら・・

 私たちが立ち位置を変えた頃には、これぞゴールデンウィーク日和と言わんばかりの天気はさらに気温を押し上げ、どこかに日陰でもあれば、そこへ逃げ込みたいくらいの暑さになっていた。 

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2008年10月22日 (水)

特価品の釣竿持って 43  ・・淡い期待を織り交ぜて・・

「ちょっと移動してみるか。場所が悪いのかもしれへんな」
 私は、いっこうに魚が釣れないことを結局は場所のせいにして、川上に向かって隣にある同じ凹の形をした入り江に移動することにした。

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2008年10月 8日 (水)

特価品の釣竿持って 42  ・・なんで釣れへんのや?・・

 最初の1、2回は魚が浮きの横を通り過ぎて行く姿をみて、よっしゃエエで!、と意気揚々とした気分だった。しかしその後も、ただ私たちの前をスーッと横切るだけである。
 こうなってくると、こちらも徐々にイライラとした感情が募ってくる。そして終(しま)いには、尾びれを軽く左右に振りながら私たちから遠ざかっていく様子が、その手には乗らんぞ。針が付いとるのはお見通しじゃ!と言わんばかりの仕草に見えてくるのであった。
「アカンな~。なかなか食いつきよらへんな・・・」
 私は息子に、つい愚痴をこぼしてしまった。釣りは我慢が肝心だ、と言っておきながら、親の方が先に痺れを切らしてしまったのだから格好がつかない。
 ただ、息子はまだまだ子供であった。親の矛盾を上手く突いてくるような返し業を知らない。その代わりに素直に私の言葉に答えてくれた。
「ホンマやな。魚・・、おらんようになったんかな?」
「おらんわけはないやん。さっきから目の前をチョロチョロと泳いどるのに」
「ほんなら、なんで釣れへんのや?」
 息子に何故と理由を問われるが、それが分かっていればこちらもそれなりの手は打てる。それが分からないから、餌が川底に落ちて裸になった釣り針を引張り上げては餌を付け、また川に戻す作業だけを繰り返しているのである。
 私の口からは、重石(おもし)で押しつぶされたような、ウ~ン・・・・・・という、
言葉なのかそれともただ唸(う)っているだけなのか、判別がつかないほどの低い声が漏れるだけであった。

2008年10月 5日 (日)

特価品の釣竿持って 41 ・・あてにならない勘・・

 大のおとなが一抱(ひとかか)えしなければならないほどの鯉が、あともう一息で釣り上げられそうになる場面。そんな光景を見せ付けられれば、息子でなくとも親の私とて体を踏ん張りながら見ずにはいられなかった。まるで自分が竿を握っているような気持ちで、食い入るように結末を見届けたのだ。
 よっしゃ、今日はいけるで・・・。言葉に出さないまでも、悪くても雑魚の2、3匹は針に掛かってくれるのではないか、と確信に近い期待を持った私である。世の中には、幸先(さいさき)と言う言葉がある。まだ5月の初めだというのに、日によく焼けた顔のベテラン釣師と、鈍い灰色だが体の動きに合わせて、時折鱗をキラキラと光らせる大魚との攻防戦を見ることができたことは、今日の釣果を暗示させるような、まさに幸先の良い吉兆の証だと腹の底から信じた。
 しかし私の勘は、時間の経過と供にそれが単なる妄想であったことを裏づけ始める。
 ときどき川の上を吹く風に体を揺らされる浮きであったが、川の中へ突然吸い込まれていくような動きを見せてくれることは、ここに至るまで一度としてなかったのである。
 憎たらしいことに15センチそこそこの、おそらく鮒(ふな)だと思しき魚が、浮きへと近づいてくる姿を何度がこの目ではっきりと捉えた。が、針の付いた餌にはまったく興味を示す様子もなく、ス~っと通り過ぎて行くだけであった。
 

2008年10月 3日 (金)

特価品の釣竿持って 40 ・・人の息吹・・

 9時半を少し回ったところ・・・。先に布団を抜け出てから4時間以上が経っていたと記したが、私たち親子がこの川で糸を垂らし始めてから数えてみると、ほぼ3時間をここで過ごしたことになる。そのたった3時間の間にいろんなことがあった。
 まず最初は、桂川の川原で釣りを始めた直後のこと。漁協の監視員さんがやって来て、大人が釣りをするには遊漁礁認証が必要だ。年間3000円、1日だと500円と突然言われ驚いたこと。
 次にさほど間を置かずして目の前で繰り広げられた、大鯉と年季の入った釣り人との、釣るか釣られるかの息が詰まるような攻防戦。
 四苦八苦しながら竿を操ろうとするが、器用なほど不器用に竿を上手く扱えない息子を見て、思わず笑ってしまったこと。
 緑ジャージのおじさんとの長いやり取り。通りすがりの人と、これだけ長い時間の会話をしたことは、私の人生の中で始めてのことかもしれない。
 もちろんこの時間に至るまでに、静寂の時間はあったに違いない。しかしその記憶がほとんど私の頭に残っていないほど、どの出来事も印象深いものであった。
 まだ日が昇る前。やっと息子が眠い目をこすりながら起きてきたとき、私は朝食のパンを頬張りながら想像していた。朝の早い時間だから、さぞ川原は静かだろうと・・・。しかし予想に反して早朝の川原には人の息吹があり、賑やかであった。
 しかし・・・、しかしである。賑やかな川辺ではあったが、肝心の川面の下はまことに静かであった。

 

 

2008年9月23日 (火)

特価品の釣竿持って 39 ・・古い話・・

「今、何時なん?」
 携帯を手に取る私の姿を見て、息子が時間を聞いてくる。
「9時半を・・・、ちょっと回ったところや」
 私はこう言いながら「あれ・・」と思い、そして一人でクスっと笑ってしまった。デジタル表示の時計を見ながら答えているのに、さもアナログ時計を見ているかのように答えていたからである。
 今でこそ100円ショップでも買うことのできるデジタル時計ではあるが、私が子供のときはそんな安い値で買うことの出来る代物ではなかった。値段そのものをいくらだとはっきり憶えているわけではないが、私の父親が初めてデジタルの腕時計を買ったときに私もそれを見せてもらった。
「高かったんやから触るなよ!」
 こう父から言われた私は、幼心に「この時計は高いんや。それにしてもカッコエエな~。僕も大人になったらこんな時計が欲しいな・・・」と、思ったことをよく憶えている。
 それ以前の時計はノンビリと盤の上を回転する長針と短針。それとは対照的にカチ、カチと小刻みに音を立てながら、忙しく時を刻んでいく秒針の組み合わさったものしかなかったわけで、三つ子の魂なんとやらではないが、時計と言えばどうしてもアナログ時計が頭に浮かび、時間を伝える言い回しも針が文字盤を指し示す位置を伝える言い方になってしまうのである。
 (話は釣とはまったく関係のない方へそれてしまうが)時計の話などはまだマシな方で、テレビのチャンネルを変えるときは、もっと古風な言い回しをしてしまう私である。

「チャンネルを回してくれ!」

 これまた古い話である。
 私が小学生のときのテレビと言えば、チャンネルはガチャガチャと”つまみ”を回転させて変えるものだった。そして何年か使っているうちにその”つまみ”が、ある日突然スポッと抜けてしまうのである。抜ける度にまた突き刺しては回転させる、といった具合のテレビがどこの家庭でも当たり前だったように思う。そのときの癖が抜けず、
 子供にチャンネルを変えてほしいと頼むときに、思わずこう言ってしまうのである。

2008年9月19日 (金)

特価品の釣竿持って 38 ・・目覚める習性・・

 再び親子二人きりとなった私たちであったが、堤防沿いを走る道は大分賑やかになっていた。
 嵐山へと通じる道は数少ない。そのうちの一本であるが故に、観光シーズンともなれば酷いときには自動車が大蛇のような長い車列を作ることもある。そして時節はまさにゴールデンウィーク真っ只中。名所旧跡を巡るにはもってこいの一日になること間違いなし。雨が降ることなど疑う余地もない晴天が広がる空。まだ道は混んでいないとあって、そこを行き交う自動車は少々飛ばし気味で風を切る音を立てながら走って行く。
 人の声もやはり上から降ってくるように聞こえてくるようになってきた。徒歩で嵐山を目指す観光客や犬と一緒に散歩する人。
 時間など気にすまいと決め込んでいた私であったが、今日という一日が本格的に動き出したことが、時間を気にする人の習性を急に掻(か)きたて始める。それでも時計は見ないでおこうと我慢をしていた私であったが、最後には辛抱し切れなくなる。
 ベルトに引っ掛けたホルダーの中から携帯電話を引っこ抜き、二つ折りになった電話を開いてみると、待ち受け画面の右上に表示されているデジタル時計は9時半を少し過ぎた時間を示(しめ)していた。
『まだこんな時間か・・』
 布団から抜け出して既に4時間以上が経っていた。体内時計は11時頃と感じていたのだが、休みの日としてはまだ意外と朝の早い時間だったことに私は少し得をしたような気分になった。

2008年9月 6日 (土)

特価品の釣竿持って 36 ・・釣りの持つ不思議な力・・

 ちなみに嵐山などでも夏の風物詩として行われている鵜飼いで登場する鵜は、一般的には海鵜が活躍しているようである。
 それにしても釣りとはつくづく持つ不思議な力を持っている、と思わずにはいられないことが一つある。その力とは人と人との間に介在する壁を簡単に取っ払い、知らぬ者同士がいきなり会話を始めることができる、それも二言、三言ではなく、釣れますか?、から始まって簡単に10分や15分は会話が続くということである。
 このときも魚の数が減ったという話題から、何処がよく釣れるポイントかという話へと流れていった。
「ここの他で言うたら、渡月橋のちょっと上(かみ)の方も結構エエかもしれんよ」
「あ、ホンマですか。次はいっぺんそこにも行ってみますわ」
 こんな話はおそらくあちらこちら釣り場で、たまたま隣に座った釣り人同士や、釣りをしている人を散歩がてらに見に来る地元の人たちの間で交わされているのだと想像するのである。
 結局30分程度の会話が続いたのではないかと思うのだが、最後の方はこのおじさんの親切も少々度が過ぎてしまうことになった。
 なかなか当たりがこないので、餌の投げ込む位置を何度か変えたのだが、その度におじさんのアドバイスが飛んでくる。
「あ~、その辺はあんまりやな・・」
「そこはもうちょっと浮きの位置は深いほうがエエよ・・・」
 こんな助言をいただいたのだが、私とて自分なりに考えて釣っている。自分で、あーでもない、こーでもないと試行錯誤を巡らすところに物事の面白味というものが生まれてくることは事実である。結局最後には『おっちゃん、もう好きにさせてーな』と、内心ありがた迷惑に感じる一場面があった。
 やはりこれもこの場に限ったことではないようで、私が勤める会社の釣り好きの人に先の話をしてみた。すると、あ~そんな人いるいる、と答が返ってきたことに思わず笑ってしまった。